うつむいても全然みっしー

好きな言葉は 守破離、苦手な言葉は ドンマイ

2020年夏の日記から 

虫と私はいつから別物になってしまったんだろう?

 この間品川図書館へ行った帰り、あまりに暑いので新馬場駅から青物横丁駅まで、一駅だけど電車に乗った。その車内にコガネムシがいた。今年は本当に頻繁に見かける。生きているコガネムシも、死骸も。車両の窓の桟にとまってジジッ‼︎と羽を鳴らしているコガネムシを見ても、またか、と思った。

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出産しまして。

鼻をふんふん言わせながら 全力で母乳を飲む

 

先月生まれた私たちの息子。

 

自宅で授乳をしながら ぼうーっと

 

窓から見える高速道路の流れを眺めていると、

 

家のなか、

 

私と息子、

 

ふたりで小さなメリーゴーランドに乗っているような

 

この世界がふたりだけになったような

 

そんな錯覚をする。

 

 

強く生きなければと思うし、

 

同時に何も悔いはないと思う。

 

 

ーーー

 

 

「母としての人生だけにならない

自分の人生も歩む」

 

と、

どれだけ前以て覚悟をしていても、

 

いざ育児の生活が始まれば、母で居続けざるを得ない。

 

自分の人生を続けるってなんだっけ??

 

 

 

ある歌の歌詞を思い出す。

 

『愛はいのちよりも前にある』

 

そうだね。

 

この子は 私と主人が生きていたこと

愛し合った夫婦がいたということ

 

証明し続けてくれるんだね

それだけでいいし、

それがすべてだね

 

(書ければ育児記錄を書いていこうかなあ)
(頭がうまく働いてないなあ)

嬉しさはあとからやってきた。

 

11月15日、仕事で訪れた池袋の展示会会場のすみっこで私は泣くのをこらえて産婦人科に電話をしていました。

 

「赤ちゃんは大丈夫でしょうか。」

 

***

その1週間ほど前、
どうも体がだる重くて、風邪かと思い会社を休みました。
でも病院では風邪との診断はなく、「もしかして」と思い、ドラッグストアで検査薬を買いました。

自宅でさっそくチェック。
妊娠を示す2本線が、くっきり。

 

赤ちゃんができた。

 

 

 

わくわくする気持ちが小さく芽生えました。

ただ、正直に、振り返ると、

小さく芽生えたわくわくよりも随分と大きく、

わたしは「どうしよう」と思いました。

***

2人で話し合って、子どもを授かることを望みました。
タイミングも一緒に話し合いました。

ただ、自宅でひとり、検査薬の結果を見たときには、
わくわくや喜びを飛び越えて
「どうしよう」という気持ちが押し寄せたのです。

なにがどう「どうしよう」だったのかは
今となってはもう分かりません。

もともとまだ私は母親にはなれないと思っていた気がします。
仕事のことも考えたと思います。
ふたりの時間がもうなくなるとも思った気がします。
旦那には不安よりも不満のような口調で話してしまったこともありました。

最低かもしれません。
失格かもしれません。


***

整理が付かない気持ちのまま過ごしていたら、
ある日少量の出血をしました。11月15日のことです。

池袋で展示会があったので、
一日立ち仕事をしていました。

なにげなく入ったトイレで違和感に気づきます。
血がでている。

 

 

すぐにこう思いました。
『いなくならないで。』

 

 

急いで産婦人科へ電話をして、
状況を説明しました。

幸い少量でしたので大事には至らないとのこと。

「生理2日目くらいの量だったら、すぐに病院にいらした方がいいです。少量のようでしたら、お母さんへの『休んでね』の合図だと思って、まずは無理をなさらず、ゆっくり休んでください。」


時間がかかりましたが、やっと、
お腹に宿っているのは命だということ、
それは繊細で大切に育まなければいけないということ、
そして心の底ではどれだけ大事に思っていたかに気づきました。

いとおしい。いとおしい。
電話を終えて、頭の中ではっきりそう思いました。

 

今日はおしまい。

 

【寄稿】妻がうつになったとき、旦那はマネージャーになった

うつむいみっしーです。

うつと診断されたとき、私の旦那はマネージャーになりました。

と、書くと「なんだそりゃ」なんて声があがるかもしれませんが結果的にとても精神的に進化を遂げることができたのです。
マネージャーになった旦那は何を考えてどういう言動をしてくれていたのか、この度寄稿してもらうことにしました。

それでは、どうぞ。

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はじめまして、うつむいみっしーの旦那です。

間近で見ていて何を感じていたか、を書いてほしいと言われたので、いきなりの登場ですが執筆してみます。

 

本題に入る前に、私は妻を心からリスペクトしています。

 

とても実直で、自らの心と真剣に向き合って生きている姿を横でずっと見ています。

このブログも心の奥底までさらけ出すことに不安もありながら、勇気を持って書き始めていました。まだまだ時折苦しそうな様子を見せることもありますが、一歩ずつ前に向かって歩んでいます。

さて、休職が始まるところからはもう1年以上経ちますので、記憶を辿りながら当時のことを思い出して書いてみることにします。

マネージャー理論:前提の確認

体調が悪いな、と言い始めたのは2017年の6月くらいだったでしょうか。

みっしーは当時イベント運営会社に勤めており、土日勤務はデフォルトであり深夜入りから早朝まで、睡眠1時間でそのまま1日立ち仕事に突入といった生活を送っていました。2016年9月に転職、職場には少し慣れてきた頃だったと思います。この付近は彼女の生活環境がとても変わった時期でした。

私生活の変化と仕事の変化。ともに顕在化はすぐにはしない、潜在的なストレスが蓄積していってたのかもしれません。

- 2016年2月 引っ越し

- 2016年7月 入籍

- 2016年9月 転職

- 2017年4月 挙式

- 2017年6月 体調不良

 特に体調不良の原因は「人間関係」。職場の上司とのコミュニケーションがうまくいかないというものでした。「体調が優れない、仕事に行きたくない、行けない」というようなことを口走るようになりました。その時は、「行かなくても良い」というのと「病院に行こう」と話していました。

 

マネージャー理論:まずは課題の認識

少し話は逸れますが、私自身が当時SIerで勤務していたので、周りでメンタルから体調を崩している人をたくさん見ていました。同僚も同期も後輩も。

その時は、正直「自分の力で乗り越えろよ」と思っていました。私も大変な時期はお腹壊したり、動悸で心臓ばくばくさせながら、不眠で働いたりしていて、辛くてもなんとか乗り越えて来たという自負のようなものがあったのでしょう。

ただ、別に彼らの状態が仮病ではないのは理解していましたし、本当に体調が悪いという事実も知っていました。そのとき彼らを見ていて感じていたのは、頑張って大丈夫だと言い聞かせて無理して出社して働いても、無理なものは無理だということ。そして自分の気持を偽ってまで精神のバランスが悪い状態を続けることは、決して何の解決にはならないということでした。

 

なので、彼女にはゆっくり休み、そうであるならば「病気」であることを自覚し、治すべき対象であり治るものだというのを認識してもらうというのが大事だと考えていました。

 

当時は家に居ては突然泣き出したり、嗚咽が始まったり、悲しい顔をします。でも泣き止んだらにこっと笑って「大丈夫」と言うのです。そんなはずはないです。とても心配で一緒に辛い気持ちにもなりました。

ただ、心配なのはずっと心配はしていましたが、一緒に辛い気持ちになって下を向いていて、それが一体何になるのだろうとも思いました。もし私も辛くなることで彼女が楽になればそうします。しかしそんなはずはありません。当時意識していたのは、私が悲しい表情を見せることで、彼女にそれが自分のせいだと思わせないことでした。

なので、今までと変わらずに接して会話をし、時折辛い表情を見せる時には背中をさすってあげるということだけをずっとしていました。

 

最初は「会社も休みなよ」といっても、頑なに頑張って出社していましたが、ついに病院に行って休職することになりました。

病院の良し悪しなどはこちらのブログに記載されているようです。 

zenzenmissi.hatenablog.com

 

 

休職期間に入り、冷静に整理していくと原因はいくつかあったと思います。

 

  1. 職場の人間関係
  2. 給与
  3. 私生活の変化

 

上述した人間関係もそうですが、残業代がなかったり、一人暮らしの経験もなかったので、いきなり実家から二人で暮らすという変化も大きかったかもしれません。正直私も原因であるというのも感じていました。プレッシャーはあったのだと思います。本人談だと”嫁業"が十分にできてない悔しさもあったのだと。

 

彼女を見ていて核心したのは”自分がこうなりたい"という理想と現実のギャップがストレスになるということです。例えば「私は仕事をこう進めたいのに、上司は許容しない。(どころか人格否定される)」「土日出勤や長時間働いているのに、もらえると期待している対価がない」「こういう妻であるべきなのに、できていない」といったギャップであり、感情です。

そのときに一つ思うのは逃げ場所を作っておけたらよいのでは、ということです。「私はここでがんばらなくてはならない」という環境から逃がしてあげることが必要です。この職場のこの上司とうまくやらなくては、などと考えるのではなく、別の部署でもいいですし、転職してもいい。仕事はあくまでご飯を食べるためと割り切って、土日や就業後に所属するコミュニティを見つけてもいい。何でもいいから、何か会ったときの「逃げ場」「駆け込み寺」を用意しておくのがよいと思ったのです。

 自分を苦しめる「あの人」が気になって仕方がない一方で、いい意味で自分が相手に与える影響範囲は狭いのではないでしょうか。彼女を苦しめた上司は、反省はしているかもしれませんが四六時中彼女のことを考えているわけではありません。もしかしたら(残念ですが)忘れられてしまっているかもしれません。そんな人のために辛いと感じるのは大変もったいないです。 

 

 

だいぶ話がそれてしまいましたが、休職中のお話を。

最初は本当にリラックスできる彼女の原点の家族である母親とよく会っていました。ただ、休職するということに対してやはり心の中ではどこか"申し訳なさ"を職場に対して持っていたようです。

そんな中で私は彼女と彼女の持つコンプレックスについて話しました。出会ってからずっと自分に自信を持てていないのは感じていました。自信というものは、成功体験をいかに多く積んでいくかに依ります。小さくてもいいので何かを体験して、それは素晴らしいことなのだと思える思考プロセスを持って貰おうと思ったのがきかっけで、コンプレックスの話をしました。

(ずっとマネジメント業務をやっているので職業病なのか、夫じゃなくてマネージャーではないかという批判は甘んじて受けます。)

 

プロジェクト①:一人旅

色々とあるようですが、大きく2つクリアしたいものがあることがわかりました。一つは旅行。もう一つは読書。小学校は親の都合でニューヨーク、高校の時もロンドンに留学しているので、私としてはよっぽど羨ましい限りなのですが、どうやら旅行がしたいらしいということがわかりました。なので、したことのない一人旅をしようと。場所はいくつか候補があり、話を進めていたのですが、私の思惑としては京都辺り、少し行って九州あたりを想定。小さい成功体験を、と思っていた矢先、「エアーズロックにしたよ!」というわけです。この無鉄砲さというか、やるなら大きくという潔さはとても好感が持てました。無事、行ってきた記事はこちら 。

 

zenzenmissi.hatenablog.com

 

 

プロジェクト②:年内20冊読書計画

次に、読書プロジェクト。「家族みんな読書好きなのに私は本が読みきれないの」と言います。確かに1行ずつ理解しないと進まないということがわかりました。プロジェクトとは期間とゴールがあるものなので、年末までに本を20冊読む、というゴール設定をしました。どんな簡単な本でもいいから、とにかく読み切る体験をするのだと。私が読んだ本として話していた、『失敗の本質』を読みたいなんていうのは却下しました。歴史も含めて全部一行ずつ解読していたらいつまで経っても終わりません。理解などいらず、今目指すのは、読み切った事実だけでよいのです。

 

とても愛くるしいのは、これらを愚直に実行するのです。結果的に私も頑張ろうと逆に励まされていた気がします。

最近では旅行の段取りもするようになりましたし、本もよく読むようになりましたし、昔いだいていた抵抗というものはなくなったような気がします。恐らく本人は意識していないかもしれないですが、当時の自分と今の自分を比較したらとてつもなくできることが増えています。小さいかもしれないですが、こういった自信の積み重ねが最近の精神の安定に一役買っていると思います。

 

だいぶ気楽な書きっぷりですが、この間もずっとやはり不安になって泣いていましたし、職場からの定期面談のときなどはとても苦しそうな表情でした。産業医面談の際には自分も会社の近くまで一緒に行ったりもしました。

 

プロジェクト③:転職 エージェント20人に会う

何度か前職への職場復帰の可能性もありましたが、まだ難しそうでした。

どういう部署で復帰するのか転職するのかを話しているうちに、現状の社会での女性のキャリアプランは、結婚・出産・子育て・復帰など考える要因がとても多くて不安になるものだと私自身学びました。 ただ、一人でも悩んでいても仕方ないのと、自信付ける取り組みの一環として最後のプロジェクトを行いました。「転職エージェントと20人会う」プロジェクト。

プロジェクトマネージャーとしては先述の2つのプロジェクトの成功により味を染めているので、とりあえず20人のエージェントと会ってみたら?と提案。

彼女は本当に真面目で、努力家です。最初の数社は女性のキャリアプランについての見解がエージェントによって全然違って混乱したり、10社目くらいのときに、だいたい求人は知っているものばかりになりました。いいエージェントはどんな人だと分かるようになり、他のアプローチも試したいと勉強会のようなのに参加したりして20社クリアしました。

 

私としては転職してほしいとも、現職に残って欲しいとも思っていなくて、本人が一番納得する道を選んでほしいと思っていました。

補足すると、よく聞く価値観として「夫婦は一体」といいますが、理想はそれぞれが自立して幸せな人生を歩んでいる上で、二人になったらもっと幸せになるものでいたいと考えています。なので、基本的には彼女の選択する道をただ応援するだけです。

 

20社回ったときに一番伝えたかったのは、あなたはとてもいいところがたくさんある、ということ。エージェントは色々なタイプがいますが(私は転職活動をしたことはないで、知ったかぶりをしています)、彼女はきっとその誰よりも相手の立場に立って話を聞いてあげることができるだろうし、企業に対しての提案もできる。仕事に対しても不安を持っているかもしれないけど、周りを見たときに自分は自信を持っていい性格もスキルも持っているんだときっと感じてもらえたと思います。

どんな人も絶対に強みはあって、得意なこともあって、発揮できるかどうかはその環境だったり、本人の心持ちだったりします。結局その活動の中から転職をしましたが、今の職場はとても彼女が自然体でいられる環境にいるのかな、と見ていて感じます。

 

嫁をみていて自分が気づいたこと

このような様子を見ていて、私の考えも変化がありました。まずは、「気持ちで乗り越えよ」といったことは思わなくなりました。体調が悪いのだという悪さは想像より辛いものであることがわかりました。

仕事においてもきっと私がプレッシャーを与えて、力を発揮できない環境にしているケースも多くありそうだと自省しました。どんな人でも合う・合わないは絶対にあります。正直、今でも私自身プレッシャーの中で仕事をしているので、他の人も頑張れやと思ってしまう部分もあり、聖人君子にはなれないですし現状うまく行ってないですが、周りの人間が「感情と向き合ってしまって、コトに向き合えないがために十分に力が発揮できない」状態にならないように意識を持つ努力はしています。現職で 採用業務も行っているのですが、文化面のマッチをとても気にするようになりました。

 

さいごに 

最後に、全国のうつ(または自律神経失調症)になった嫁をもつ旦那にお言葉をということをテーマでもらいましたので一言。正解などわからないですが、"ちょうどよく"向き合ってあげるのが良いと思います。あまり深く一緒にいすぎれば、もしかしたら「自分だって休みたい」「仕事の時間が潰れてしまう」といったマイナスの感情が生じるかもしれません。一方で、放置すれば奥様は苦しみ、「なぜ私が苦しいときに助けてくれないのか」と悪循環に入っていくと思います。

もしかすると相談する人もいなくてどうすればいいかわからないかもしれないですが、自分の気持ちのバランスが崩れない程度にちゃんと相手と向き合うちょうどいい距離感を保って見守ってあげてください。