うつむいても全然みっしー

好きな言葉は 守破離、苦手な言葉は ドンマイ

【日記】バショとイバショについて①

うつむいみっしーです。


わたしにとって、

生きていく上で、なにか決め事をする上で、

とても大切なキーワードがある。


『場所』と『居場所』。
バショと、イバショ。


バショにはすごい力がある、と思うのです。

大学時代、わたしは宗教社会学の卒論研究をする過程で、
クリスチャンの知り合い何人かにインタビューをしていた。


みんな、生まれながらにクリスチャンではあるけれど、
(それを彼らはボンクリ(Born Christian)というらしい)
生まれながらだからこそ、別に厚い信仰心があるわけではない。

聖書なんて5ページも読んだことない。

ペテロ?なにそれ、テヘペロ

みたいな。

 

それなら、と、私は、

ある子に聞いてみた。


じゃあ、じゃあ、
あなたのイメージする神様ってなあに?


彼女が即答した。


「きょーかい。」

 


彼女は神様をバショでこたえたのでした。

教会は、彼女の 居場所 なのであった。

ヨリドコロと言い換えてもいいかもしれない。心の拠り所。


教会というバショは、彼女の、心の、居場所だったのか。

 

そんなインタビューを経て、
自分にも心の「居場所」や「拠り所」があるか記憶を辿ってみた。


少しあった。

そしてそれはいつもバショだった。


こういうバショを、私はイバショと呼ぶんじゃないかと思った。


バショにはすごい力がある。

そう気づいてからは、そにかくその『バショ』に関わることが
私のやらなきゃいけないことのような気がしてきていた。

 

 仮にだれかに「お前の人生の使命はなんだ!!」
と問いただされたら、
即答はできないけど、
間違いなく『場所』と『居場所』は重要なキーワードになる。


難しい言葉でいえば、きっと、

わたしの「命題」ってやつだろうか。格好よく言えば。

 

もしかしたら、

自分の居場所に悩み苦しんだ思春期があるから

なおいっそう強くそう思うのかもしれない。

 

できれば私は生きながら、働きながら

誰かのためにそのバショの提供者でありたい。

 

いつからかそう願うようになっていた。


つづく(つづかないかも)