うつむいても全然みっしー

好きな言葉は 守破離、苦手な言葉は ドンマイ

<読了記録>13~20冊目(エンドオブ読書プロジェクト2017)

あ!

 

しまった、完全にある記事の投稿をすっぽかしてしまっていた。

 

2017年10月に始動した、「読書嫌いの読書週間」。

2017年末までに20冊の本を完読するという、読書嫌いを克服するためのプロジェクト。

すっかり更新してませんでしたが、ちゃんと、20冊読了してました。

ブログを知ってくれている知り合いからは「20冊プロジェクトどうなったの?!」と聞かれてしまう次第。読み終わってたんです。ちゃんと。

 

えい!

以下読了記録。

 

13冊目 

人のセックスを笑うな (河出文庫)

人のセックスを笑うな (河出文庫)

 

以前ブログでも紹介したのでここでの感想は割愛。
恋愛はいとおしい。

zenzenmissi.hatenablog.com

 

14冊目

ジーノの家―イタリア10景 (文春文庫)

ジーノの家―イタリア10景 (文春文庫)

 

 

天才かと思った。
内田洋子さんはイタリアに30年近く住んでいる。
彼女がイタリアでの日常を描けば、イタリアらしいのに、どこか日本の日々の生活と何ら変わらない「同じ」感を感じる。
ただ、その中でもオモシロい人ど出会うのはきっと彼女の引き寄せ力のなせる業。

 

15冊目 

旅の途中、飛行機の中で「ちょっと今から仕事やめてくる」の映画を見たのがきっかけだった。
 当時うつで休職中。もう無理だと思い、でも仕事に没頭せざるを得なくて、思考が完全に停止した状態の自分を思い出した。
ぞっとした。もちろんストーリーはハッピーエンドだけどそういう問題ではナイ。
旅から戻って慌てて原作を探して読んだのがこれ。

ヤバくなる前に人に相談するの大事だね(感想が著しく浅いな)
希死念慮についてはいつか書こうと思う。
私でさえたまに抱くものである。

16冊目

野ブタ。をプロデュース (河出文庫)

野ブタ。をプロデュース (河出文庫)

 

ぜんぜん堀北真希でてこない。
ぜんぜんハッピーエンドでもない。
青春時代の「人気」はなんてもろいんだ。
なのにどうして「人気」にあこがれ、めざしてしまうんだろう。

エンディングがチクリと心に痛い、余韻の残る本でした。

 

17冊目 

ふがいない僕は空を見た (新潮文庫)

ふがいない僕は空を見た (新潮文庫)

 

これも、感想は別の記事で述べているので割愛。

zenzenmissi.hatenablog.com

 

18冊目 

チーズはどこへ消えた?

チーズはどこへ消えた?

 

やばい、内容忘れた。
次。

 

19冊目

人間失格 (新潮文庫)

人間失格 (新潮文庫)

 

これも忘れかけている。。
ただ、「野ブタ。をプロデュース」 にも似た、「人気者」と「人気者の内面」のギャップは印象に残っているなあ。

 

20冊目

旅のラゴス (新潮文庫)

旅のラゴス (新潮文庫)

 

最後は姉に借りたこの本。
独特な読後感のある本だった。
何もかもが不思議。
地球儀を見ながら旅をしたくなりましてよ。

以上!2017年10月ごろに始動した読書嫌いの読書週間、年末までに20冊を読み切るプロジェクトは終了したのでした。

そろそろあれから1年。
年が明けてから読書量はガクンと減りましたが(あれ)
たぶん、本が、好きな気がします。

そう。たぶん、本が、好きな気がします。

おしまい。 

さて。

この記事を書いたら、自分のFacebookにこのブログのURLを投稿しようと思っています。

つまり、あなたは私の知り合いである可能性が高いんです。
どうもお久しぶりです。

「うつむいても全然みっしー」
は、「軽いうつになったからブログ書こうとおもうんだけど」と友だちに言ったときに考えてもらったブログタイトルです。

改めて説明します。

 

①何が起こったか

去年の夏、仕事をしていた時のことです。
動悸と震えが止まらなくなり、それは毎朝続くようになりました。
病院へ行き、軽いうつ(自律神経失調症)だと診断されました。
その後会社を休職しました。
そして退職しました。

心身ともにタフを自負していたので、驚きの出来事でした。

 

②このブログは何か

そんなわけであまりに感傷的な気持ちだったので、
なにかを綴らずにはいられず始めました。
・休職期間を忘れないようにするための備忘録
・この状況を整理するためのメモ
・センチメンタルになったときの気持ちのはけ口
・その他雑記

そんな感じです。

 

③なぜFacebookでおおっぴらにしたか

わかりません。
ただ、今までの自分とまったく違う行動をしてみたらどうかな?
と思い、実行してみたくなったのです。

わりと他人を警戒して生きてきました。
あまりSNS等で自分を表現することも得意じゃありません。

一方である意味、すっぱだかのワタシと言ってもよいこのブログを、むりやりにでも公開しちゃえば、この警戒心も多少はほどけたりするのかな、とちょっぴり思ったのです。

 

読む方にとっては、
私らしいね、かもしれませんし、

読む方にとっては、
意外だね、と思うかもしれません。

 

 

 

最近はよく去年の今頃を思い出します。
希望を持って入社した会社で、どうしてこうなってしまったんだろう。
私はなにか間違えたのだろうか。

たまに、こうも疑います。
私が感じていた症状は、私の勘違いだったんじゃないだろうか。
もしくは、ただ、私のわがままで休職をして、ここまで来てしまったんじゃないだろうか。ぜーんぶ幻だったんじゃないか。と、不安になるのです。

 

でも、いろんな人が勘違いじゃなかったと思い出させてくれます。

母とのLINEには私が仕事中に発したSOSが残っており、めったにLINEしない父からは心配する連絡が来ていました。
周囲の人にも、あのころの表情や様子はどうもおかしかったねと言われます。
お医者さんの記録にもしっかり残っていました。

残念ですがわたしはたしかに自律神経失調症でやむなく休職したようです。 

そんな、ある意味貴重な体験なので、ブログにいろいろと記しています。 

ついでに私はこういう人間であるということ、
こういうことを考えながら生きているということ、
そんなことまで全部さらしてます。

稚拙な記録ばかりですが、今は新しい会社で働き始め、休職期間のことも書き終えたので、ひと段落だと思いみなさんにお知らせします。

気になる部分だけ読んでみてください。

 

かしこ

【感想】むしろわたしがふがいない。『ふがいない僕は空を見た』

つい最近のことです。
ある本の一節を思い出して、「ああ、もう」と自分の頭をグーでなぐりたくなった。

こちらの本。 

ふがいない僕は空を見た (新潮文庫)

ふがいない僕は空を見た (新潮文庫)

 

 

『彼自身は何も変わっていない。変わったのは私のほうだ。
父親になったのだから、きちんと仕事をしてほしい、そんな正論を大声でふりかざした。(中略)彼の自由な生き方を無責任におもしろがって結婚したくせに、子供が出来た途端、夫や父親としての責任を彼につきつけた。
それまでは、家事はできるほうがやればいい、生活費は出せるほうが出せばいいと、物わかりのいいふりをしておきながら。(中略)耳馴染みのいい世間の良識を、焼き印のように彼に押しつけたのだ。』

読んだときにはたいそう『ギクリ』とした。
そして反省もしたはずなのに、また同じことを私はしてしまったかもしれない。


ブログにしばしば登場する、私のだんなさん。
太陽みたいに明るく、お月さまみたいに思慮深い、唯一無二の主人です。
お互いに愛し合っています。

結婚生活もまる2年を迎えようとしています。
私と彼のあいだには絆がある。その絆が日々、どんどん強くなっていくのを感じます。

が。

たまに悪い意味での乙女心が発動してつまらないことを思ってしまう。

「ヨメになってから、私の優先度さがったなー」とか、
「彼女の頃の方が、気を使ってくれてたのになー」とか。

そして。

太陽みたいに明るいと賞しているはずの、彼の自由な物言いに、だんだんハラハラするようになってしまう。

「その言い方、ともだち傷つけてないかな」とか、
「今のって、自慢ぽく受け取られてないかな」とか。

そしたら。

なんてことでしょう。
はえらそうにこんなことを言ってしまった。

「それじゃだめじゃん。」

 

もう一度、「ふがいない僕は空を見た」の一節を載せます。

 

『彼自身は何も変わっていない。変わったのは私のほうだ。(中略)耳馴染みのいい世間の良識を、焼き印のように彼に押しつけたのだ。』

ああ。
本当にきっとその通り。
彼は付き合ってるときから今まで、きっと、なんにも変わっていない。
変わり、戸惑わせているのはむしろ、私のほうなのです。

小さなことにむきになって、噛みついて、私も傷ついているけど彼も心から血を流しているかもしれない。

 

だったら私がもう一度変わればよい。
ただ、それがすんなり出来るほどオトナでもない。
私は、泣きながら、怒りながら、また反省をして少しずつ歩んでいくしかなさそうなのです。

ただもう泣き疲れたし、
しょんぼりする彼の背中を見ることもしたくない。

『彼自身は何も変わっていない。変わったのは私のほうだ。』

これを繰り返し唱えて、反省と前進を繰り返します。
このブログは、反省文です。

おしまい

◆休職期間の過ごし方◆12月 転職・人事・師走だね 編

本当なら「どうやったら復職したくなるか?」の答えを探すために始めた転職活動。
ふとしたきっかけで訪れた企業に対して「ここで働きたい」と感じたみっしー。
12月に入ったところでした。

2回目、社長との面談。
休職していることも真正面から伝え、真正面から受け止めてくれた。

最後の社長の質問は印象的。
「うちの会社には変人ばっかりなんです。
みっしーさんは変人に対してどう接しますか?」

そんなの、決まってる。

わたしは、変人と言われるひとほど、まともだと思っています。
変人と言われる人ほど、中身をよく知れば真っ当なことがほとんどです。 
だから、特に接し方は変わりません。


社長のにっこりで面談は終了。

その後、「一緒に働きましょう」とオファーが来ました。


あれ?
これって、内定じゃん。

あれ?
これって、転職活動終了じゃん。

あれ?
これって、今の会社を退職じゃん。

実はいろいろな急展開を迎えていることに、やっと自覚しはじめた。
すぐさま旦那に相談。
するとこんな言葉が返ってきた。

 

「今まで20人のエージェントにあったでしょ?」

はい。

 

「その中で、何人の人に対して『すごい』とか『圧倒的だなー』とか思った?」

うーん。正直あんまりいなかった。

 

「だめなエージェントもいた?自分の方がうまくヒアリングできる、って人もいた?」

うん。いた。

 

「でしょ。世の中の社会人なんてそんなもんなんだよ。
あなたは自分の評価に厳しいけど、自分であった20人よりも、自分の方が出来ることある、って思ったでしょ。」

うん。

 

「自信を持ちなさい。あなたはすごい人なんだから」

 

 

そのために20人のエージェントに会えと、私にミッションを下していたらしい。

そ れ な ら そ う と

は や く い っ て !

というのはさておき、有難く旦那さんに諭してもらい、
自信をもって新しい会社にいく決断をしました。

さてここから待ち受けるは現職の人事とのたたかい。
もう隠してもしょうがないのでストレートに転職を伝える。

けっこうな嫌味は言われましたが、
休職を5か月に伸ばしてもらって、挙句の果てに辞めるのだから仕方ないと思いあまんじて受け止める。そして面談したその足で荷物を引き取りに行かされる笑。

大荷物を抱えながら、退職面談を終え、

私の休職期間は終了したのでした。

希望をもって入社したこの会社に
こんなかたちで退職することになってしまった。

期待してくれていたひと、待っていてくれていたひと、
いろんなひと、ごめんなさい。

ごめんなさい。

でも私に前を向かせてください。

どうか前を向いて進ませてください。

 

大量の荷物を抱えながら駅まであるく途中、
向かい風を真正面から受け止めながら
そう思っていました。

◆休職期間の過ごし方◆11月 エージェントから学ぶ「企業3タイプ」編

そろそろコートがなければ外に出られない11月から
私は転職活動と称してエージェントと会いまくる日々を送っていました。


転職活動をする上で定めた目標はひとつ。(旦那さんに設定された)
20人のエージェントに会うこと。(なぜかは聞かされなかったが従順なのでその通り動く)


そうと決まればすぐさま転職サイトに登録しまくり、
予定を埋めまくり(疑似出社生活は無視)、
転職エージェントと会いまくる日々。


とあるエージェントは、希望の条件を淡々と聞いてきます。
とあるエージェントは、新卒のころから今までを親身に聞いてくれます。
とあるエージェントは、休職のことは、履歴書に書きましょうといいます。
とあるエージェントは、休職のことは、聞かれたら答えましょうといいます。

 

そしてどんなエージェントと話しても、求人はあまり興味をひきません。


しかしこんなエージェントもいます。
「みっしーさんは新しい職種に就きたいんですよね、それなら20代の今しかありませんよ」

そしてこんなエージェントもいます。
「職種に軸がないと、30代にはいって仮に転職するときに不利になりますよ、営業職も視野に入れては」

 

もう、なんなん?

20人エージェントにあっても、もはや発見よりも疲弊感を背負って帰らされる日々。


しかし一つ、興味をひく言葉があった。

『企業には3タイプあります。

① 資本主義タイプ
5時間で100%の成果を出すひとより、
10時間で120%の成果を出した人の方が評価される。
完全に成果主義です。(1社目がそうだった。わかる。)


共産主義タイプ
会社への忠誠心とか、ブランドへの愛着とか、
そういった「ハート面」を重視するタイプ。
採用面接も、その会社の精神とか商品とかに対して熱意があるかどうかとチェックするタイプ。(2社目がそうだった。めっちゃわかる。)


③ 民主主義タイプ(たぶん。ちょっと忘れてるから違うかも)
成果さえ出していれば働き方は個人の裁量に任されているタイプ。
「今日の仕事はここまで」としやすい、ある意味個人主義的な働き方ができる。

(ふむふむ。)


当然どれか一つではなく、
①と②の組み合わせだったり、
②と③の組み合わせだったり、
バランスの問題はあります。

でも企業を選ぶ上でこういった視点をもつと選びやすいのではないでしょうか?』

と。


なるほどね。

③がいい。

 

 

一方で1社気になる会社があった。

エージェントからの説明は、
「ここの会社はうんたらかんたら(事業内容)うんたらかんたら(事業内容)で、
要は人がおもしろいので会ってみたらいいと思いますよ。」


ぜんぜんわかんねー。

全然分からなさ過ぎましたが、気になったので
Wantedlyで探して自分でコンタクトをとってみることにしました。


さっそくアポの調整。カジュアルに面談をすることになる。
さて当日。会社の説明をうけ、
逆に私のことも話して終わり。


ポっと私のあたまに浮かんだ言葉がひとつ。

 

「この人たちと働いてみたい。」

 

会社選びにはいろんな方法があると思うし、
人それぞれいろんな軸があってしかりだと思いますが、

「この人たちと働いてみたい」

って思った私の直感は、今回は、大事にしなければいけない気がした。

 

もう時は12月にはいっていました。


 

◆休職期間の過ごし方◆11月 無理して復職しようとしてない?主治医に諭される編

10月末、エアーズロックでひゃっほいする直前、
現職の会社の会議室で行われた産業医面談ではこんな話になりました。

 

「そろそろ復職しましょうか。」と。

 

ここで産業医面談中の不思議をお話ししたい。

家でどんなに「まだ働けない」と思っていても、
主治医の先生とどれだけ「もう少し様子見しましょう」と話していても、


会社に足を踏み入れたとたん脳内で何かがマヒし始める。

人事から「そろそろ」というニュアンスを感じ取り、
産業医の先生の眼光を目の前にすると、


「戻らないと」

という気持ちにヌルリと入れ替わってしまっている。産業医面談の不思議。


なので半ば無理して返事をするように、
「11月末から復職します」と言ってしまった。


「それならば。」

と、産業医のお医者さまに言われて
疑似出社なる毎日を送ることになりました。


ぎじしゅっしゃ。


「しゅっしゃ」ですから、
かいしゃの始業時間に合わせて
図書館なりカフェにいって、
読書なり(他になにがあるんだ)するのだと。

かいしゃの時間に合わせてお昼を食べて、
かいしゃの時間に合わせて帰宅するのだと。

 

おけおけ。

 

そして人事から送られてきたのは
ExcelとWordファイル。

Excelは行動記録表。
Wordは一日の日記。

毎日記録して、週1回人事にメールで提出すると。


お、、おけ。。

 

・・・

 

これを主治医の先生にいったら
わっはっは って。
笑われてしまった。


『気楽にね、取り組みなさい。

出来なくたって落ち込まないこと。

美術館に行ったっていいじゃない。ね。』

 

はい。


『それからさ、みっしーさん。

会社は11月末から復職と言うけどさあ、

みっしーさんはどう思っているの?

なんパーセントくらい、戻れると思っているの?』

 

・・・


ろくじゅっっ、、ぱーせんとくらい、、ですかね、、、?

 

・・・


・・・


『あのねみっしーさん。

僕はまだだと思うよ。

100%戻りたくなるまで、待ちなさい。

60%じゃ僕はあなたを職場に戻さないよ。

復職許可の診断書はまだ書かないでおくから。

100%、120%戻れる!戻りたい!もう戻るんだ!っていう

エネルギーがわいてくるまで待ちなさいね。』


聞き終わる前に、わたしは泣いてた。


『あなたは真面目だからねえ』


ティッシュを渡しながら先生がそう声をかけてくれた。


鼻をかみながら、涙をふきながら、わたしは真面目なのかあと考えた。

これが真面目というなら、なんだかもう、真面目じゃなくなりたいなあ。

 

 

そういういきさつで、

11月のテーマはこうなった。

『どうすれば会社に戻りたくなるだろうか』


ちょっと荒業だけど、答えを出す方法として、

転職活動することにした。

 

当初のわたしの仮説はこうだった。

いろんな会社をみることで、

「なーんだ、ほかに行ける会社なんてないじゃない。

やっぱりわたしの居場所はいまの会社じゃないか!

今の会社にもーどろっ!復職しーようっと!」

という結論になるだろうという思惑だった。


はい、思い立ったらすぐ行動。

すぐさま転職サイトに登録しまくり、

エージェントに会いまくり、

せっかくならいろんな会社を見てみようと

怒涛の勢いでスケジュールを埋め始めたのでした。

そしてそれが運命を変えることになるのでした。


11月おしまい。

【日記】バショとイバショについて①

うつむいみっしーです。


わたしにとって、

生きていく上で、なにか決め事をする上で、

とても大切なキーワードがある。


『場所』と『居場所』。
バショと、イバショ。


バショにはすごい力がある、と思うのです。

大学時代、わたしは宗教社会学の卒論研究をする過程で、
クリスチャンの知り合い何人かにインタビューをしていた。


みんな、生まれながらにクリスチャンではあるけれど、
(それを彼らはボンクリ(Born Christian)というらしい)
生まれながらだからこそ、別に厚い信仰心があるわけではない。

聖書なんて5ページも読んだことない。

ペテロ?なにそれ、テヘペロ

みたいな。

 

それなら、と、私は、

ある子に聞いてみた。


じゃあ、じゃあ、
あなたのイメージする神様ってなあに?


彼女が即答した。


「きょーかい。」

 


彼女は神様をバショでこたえたのでした。

教会は、彼女の 居場所 なのであった。

ヨリドコロと言い換えてもいいかもしれない。心の拠り所。


教会というバショは、彼女の、心の、居場所だったのか。

 

そんなインタビューを経て、
自分にも心の「居場所」や「拠り所」があるか記憶を辿ってみた。


少しあった。

そしてそれはいつもバショだった。


こういうバショを、私はイバショと呼ぶんじゃないかと思った。


バショにはすごい力がある。

そう気づいてからは、そにかくその『バショ』に関わることが
私のやらなきゃいけないことのような気がしてきていた。

 

 仮にだれかに「お前の人生の使命はなんだ!!」
と問いただされたら、
即答はできないけど、
間違いなく『場所』と『居場所』は重要なキーワードになる。


難しい言葉でいえば、きっと、

わたしの「命題」ってやつだろうか。格好よく言えば。

 

もしかしたら、

自分の居場所に悩み苦しんだ思春期があるから

なおいっそう強くそう思うのかもしれない。

 

できれば私は生きながら、働きながら

誰かのためにそのバショの提供者でありたい。

 

いつからかそう願うようになっていた。


つづく(つづかないかも)